らいおっと☆つらいおっと

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楽曲「エイセイ」について

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 世の中のあらゆることを白と黒、1と0で断定するのは難しい。だがこれは確実というものが一つある。俺は二次元の女の子が好きだ。

 「エイセイ」はそんな思いを込めた曲だ。

初めて二次元の女の子に恋したのはいつだろう。それは一般的な初恋を知るよりも前だった気がする。小2ぐらいの話。当時俺はDVDレンタルであらゆるアニメを見まくっており、妹が借りてくるピチピチぴっちにハマっていた。

 俺が永遠の美しさを知ったのはそのときだった。一人の少年の人生をぐにゃりと変えてしまうほどの美しさだった。何のキャラだったかは言わない(恥ずかしいから)

 

 時は流れ小学四年。俺は深夜に一気観したとらドラみのりんに恋をした。心臓の内側からほとばしるエネルギーの行き先がない!初めて経験した強い感情だった。

 みのりんは運動部なので、それに見合う男にならなければとデブの少年は筋トレを始めた。当時の彼にはそれしか愛を表現する手段が無かったからだ。しかし、筋トレも恋も、そう長くは続かなかった。

 

 高1。俺は当時の知り合いに勧められて「エウレカセブン」を見た。彼女と出逢ったときは機械みたいな女の子だと思った。不気味とすら思った。

 いつからだろう。彼女と長い時間(50話分)過ごした後は、苦しくなって涙が止まらないほどに恋をしていた。苦しみや悲しみか、正体がわからないものが涙腺から溢れて止まらない。愛とはそこまで劇薬なのか。俺が抱くこの感情は、世間一般で言われているものとは大きくかけ離れている気がしていた。

 そこで、その大きすぎる感情をなんとかするべく曲を作ることにした。そのときに既に俺は作曲という表現のツールを手に入れていた。当時の俺ができる最高傑作にしたかった。着想から完成まで一年半もかかったが、その甲斐あってか多くの人に愛される曲となった。

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 大学二年生。当時はVtuberの黎明期で、そんなVtuberを広めた起爆剤輝夜月ちゃんだった。SNSの力というのは凄い。首絞めハム太郎とかいう名前でミームとしてどんどん拡散されていった。あまり動画も出さずに100万人登録者も突破したらしい。

 俺も、そんな爆発力に魅せられた一人だった。エウレカのときと同じぐらい愛しくて、苦しかった。だが前回とは対照的に、すごく早く曲が完成した。その勢いのまま、俺とルナちゃんが登場するSSみたいなやつも書いた。

 彼女が二次元の女の子と決定的に違うのは、中に生身の人間が居るという点だ。詳しくは語らないが、不完全だが完璧なのがVtuberの危うさであり美しさであると思う。

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 さて、やっと本題に入ろう。「エイセイ」はそんな、絶対に届かない存在に対して焦がれ続けた男の、集大成の歌だ。以上に挙げた歌以外にも、俺は基本的に二次元の女の子に対して歌を唄っている。つまりは、「エイセイ」はそんな俺の作曲者としての総決算だと言える。何度もサビで繰り返し歌われる

そっと、遠い君を見てた
ガラス越しの光のままで


僕は、君に近づかない
「ダッテ、エイセイダカラ」
君を穢したくはないから。

  という歌詞がこの歌の、というか俺のマインドの中核となっている。

皆さんはご存知だと思うが、液晶ディスプレイにはガラスが用いられている。そして、望遠鏡を通して見える遥か彼方の星も、「ガラス越しの光」なのである。

 俺は「エウレカ」や「天使は月の上で笑って」などのラブソングにおいて、二次元の女の子を絶対に届かない存在=何億光年も離れた星として表現してきた。俺の歌詞においてこの原理は不変だ。

 そして、衛星とは永遠に天体の周りを周り続ける存在で、(イレギュラーが無い限りは)永久に衝突することはない。つまり、「近いのに一緒になることはできない」ということだ。

 要するに、ガラス越しの光とは液晶ディスプレイに映る二次元の女の子のことだ。

 

 ちなみに、「エイセイ」は他のラブソングとは違い特定の相手というものがいない。

 俺は、輝夜月ちゃん以来女の子を好きになっていない。これからあるかどうかもわからないが、とにかく2年近く人を本気で好きになってない。それ故か、自分の行動原理が冷静にわかるようになった気がした。そういう経緯を経て、自分の価値観がそのまま音楽になったのだと思う。

 これは、一種の反抗でもあると考えている。社会は、俺たちに番になれと無言の重力をかけている。誰も言わなくてもそういう規範のもと育っている。でもそういった規範から逸脱したところから、美しいものを作り上げることができるということ。多分だけど、創作をやる人にはみんな何かしらの反抗心があるんじゃないかなと考えている。

 

 

 

昔のことばっかだ

自分の考えをアウトプットして文章にすると、自分でもわからなかった特徴が浮いてくる。
このブログを始めたきっかけは、暇な学生が文章をアウトプットする力を高めようとか意識の高いことを言って...まぁ結局はやっぱり暇なだけだ。

書くことは慣れていない。し、自分の好きな話題
例えばギターとか音楽とかについてレビューしたり、
映画について批評を書いてみたりとかは文才や経験があって始めてできることだと思うし、そこまで機材や音楽に対しても造詣の深くない人間なのでそう長々と語ることも文章を書くこともできない。

だが、そんな薄い自分の中身をだらだらと書くことはできる。人間誰しも不満はあって、それが大きい人と小さい人がいて、表に出す人と出さない人がいる。
自分は両方とも前者に当てはまる人間だ。

前置きが長くなった。タイトルの昔のことばっか、とは
勢いだけで5記事ぐらい1日で書いたのだが、どれも
過去の自分の名誉だとかそういうものを引っ張っているということだ。後ろ髪ばかり引かれて、前に進めない哀れな男。

いい加減現実を見ろってきっと3回ぐらい書いたはずだ。それだけ今の自分に不満があって、自分の歩いた跡にしがみ続けている。どうしたら前を向けるのかわからないし、この感情もどこから来るのかがわからない。

このブログ、めちゃくちゃくさいこといっぱい書くぞって思ったので確実に黒歴史になると思う。未来の自分が今の自分を笑えたらいいな。

2年間で何が変わったのか

中3の春にギターを始めて、今では2年半ぐらいになる。
その翌年にDTMを始めた。

当時の自分と今の自分は何1つ変わっていない。
昔の自分はマルチをヘッドフォンジャックに直差しで録音なんていうお粗末なことをしていたが、今はAIFを通して録音している。きっとDTMに関する知識はついた。
が、根本的なソングライティングの能力は良くなったどころか失われている気がする。といっても1つ書いただけなのだが。

なぜこの話題に至ったかって、言いだしっぺだと恥ずかしいのであまり大声では言えなかったのだが、中3のときに作った曲をリメイクして、中3から今にかけて作った曲でEPを作ろうと思っているのだ。
というわけでリメイクはしているのだが、これが全く
疾走感が出ない。当時はフリーソフトを使って、お世辞にもうまいとは言えない、丁寧とは言えない恥ずかしいほどのひどいドラムを使っていたからだ。

だが、今はどうだろう。きっと演奏も幾分かマシになって、機材もプレイテックのストラトキャスターからフェンダージャガーへと昇格した。
だのに、何故? 何故か勢いが出ない。
こ、これが中学生パワー?とか言ってるわけではなくて作っている本人が本当にわからないって。
これが初期衝動ってやつなのかな。

ツイッター童貞倶楽部!

ツイッターでよく童貞をネタにしている人間がいるが、そういう人間は大抵交際経験があったり、顔はまともだったりして大変惜しい人種だ。

そんな域にかすりもしない悲惨な人間もいる。この文章を書いている人間だ。

 

まだネタにしてる、というのは幾分か救いがある気がする。

これは極端な例だが、50代過ぎたおっさんがまだ童貞なんですwwwwとか言えたことか?悲惨だ。

ネタにしたくもねえ。

 

スカイプで大人数で会議しているとき、そういう話題が始まったらミュートをするぐらいそういう話題が苦手だ。インターネットでこそ本来の自分でありたいからしたくない話は聞かない。

別にするなって言ってるわけじゃねえが、そういうことを言ってられるだけまだマシってこった。

 

自分はまだまだ若い。十代の半分をやっと過ぎたところだ。

けどこの先が勝手に見えている気がする。

勝手に思い込んでるだけならまだ良いけど。

小学生のときは、小学生のときに好きな娘が出来て、中学生で付き合って、

高校生ではチューをして、大学生でセックスして、社会人になって結婚するんだと思っていた。

その道のりを一瞬で飛び越える人間もいれば、自分みたいなまだまだ未達成な部分もある人間もいる。

 

社会で言われているようなまともな人生、過ごしたいな。

 

 

おしまい

アニメが見れないオタク

自分は外見がいかにもオタクな人間(デブで根暗でブサイク)なのだが、中1まで趣味らしい趣味はなく、やることと言ったら寝るだとかパソコンでゲームだとか、所謂現代らしい子供だった。丁度中3の春に今もやっているギターを始めたのだが、正直きっかけは覚えていない。

さっきの話は別に関係ないのだが、そこまでオタクではなかった(と思う)のに、いつのまにか外見から内側までオタクに染まってしまった。

かと言ってアニメも"見れない"のだが、その話をしようと思う。

 

自分は小学生のときからオタクと言われていた。アニメやパソコンやゲームに触れたのは周りよりも2年くらい遅く、中2からアニメを見始めるようになって中身も染まってしまったという話なのだが、高校生になってからまともにアニメが見れなくなってしまった。

 

今は"干物妹!うまるちゃん"にハマっている、とはいってもブログなどでキャプチャを見るだけだ。 なぜ見れないかって、自分はアニメと現実を混同して考えてしまう癖があり、自分の生活の駄目さ加減だとか、自分のコンプレックスだとか、それらが浮き彫りになってしまう、ということだ。

きっとこの程度なら誰でもあるだろう、黒い画面に妖怪が映ったときとか。

だがそれがもっと悪化して、今は二次元の女の子を見るだけでわりと辛い。

タムライに可愛い二次元の女の子が流れてくる度、流石に毎度毎度は言わないが、

かなり心にダメージがくる。どこからきているのかは当の自分でもわからない。

 

きっと、アニメを見ても平気だったころは自分はまだ輝いていた。きっと。

それが今はどうだ、夏休みはひきこもりっぱなし、堕落した生活で体重は増え、

三次元の女はクソ!とか言っちゃう。お前が現実見れてねえからそんなふうに映るんだろうが。

 

いい加減現実を見なくてはならない。画面に向き合ってる場合じゃない。そんなことは分かっている。

逃げ続けて逃げ続けて、画面に目を向け続けていたら本当にそれ以外居場所がなくなってしまった気がする。

 

さっきは"タムライに可愛い二次元の女の子が流れてくるたび辛い"と書いたが

本当に俺の居場所は何処にあるんだろうか?

きっと奪われてなんかいないが、自分の目はそれを受け入れたくないだけなんだと思う。心を広げたり視界を広げたりするのは本当に難しい。

決意を重ね続けて、決意なんていくらしても無駄だと、最近やっとわかったが...

 

 

おしまい

自分の首を絞める

ついつい攻撃的なツイートをしてしまいがちな自分だが、その言葉によって自分の首も締められているということに今更気付いた。

 

例えばある特定のジャンルを嫌っていしたとしても、その後好きになる、みたいな話は少なくはないだろう。

もしその特定のジャンル叩きをツイッター、その他のSNSで投稿していたとして、

散々叩きまくったあとに好きです(^o^)なんて言えるだろうか?

言葉に一貫性を持つ人間でありたいと思っているので自分はそれができない。

たまにするけど。

 

ワンピースか何かで、"何が嫌いかより何が好きかでものを語れよ"みたいなことを言っていたが、本当にその通りだと思った。

しかし人間捻くれたもので、好きなものを共有するより嫌いなものを共有したほうがまだ盛り上がりやすいのだ。これは持論だが、"好き"という感情は様々な方向に向くが、"嫌い"という感情は怒りや恨みという一つの方向に集中するからでは、と思っている。

 

ツイッターでこれは意見だからといって、意見という革を被って文句ばかりを他人に押し付けている人間も見るが、なんだそれは。文句は文句だろう。

受け取り側の気持ち次第で簡単に変化してしまうのが言葉だ。

意見は議論の場で言うべきであり、議論では受取側の気持ちなど考えず、いや、受け取る側の気持ちがどうこう言うのは感情論であるため通用しないが、俺が言ってるのはツイッターの話だ。余所でやってくれ。

 

 

おしまい

曲を作ったこともないのに作曲の話をするな

最近よくタイムラインで見るコードは決まっているんだけど、とか、

自分の曲はこのコードを多用してしまうとか、そんな話

 

せめて曲を作ってから言え。せめてTwitterのlinkの欄に自分の作ったものを乗せてから言えば? と思う。あとDTMやってます!とか言ってんのにリンクが一個もない人とか。

環境が無い?知らねえ。じゃあ語るな。

あと、活動もまともにしてねえのにバンドのアカウント作る奴。そんなアカウントいるか?形だけやって満足していないか?

 

実績がないととても薄っぺらく感じてしまうのは自分だけだろうか?

かと言って自分も一曲しか完成させていないし、もっと実績や経験を積み上げてから

こういった予防線を張らずに正々堂々と勝負したい気持ちはある。

 

まず、コードだけが曲ではない。歌詞、展開も含め成り立っているのでたかが進行を作っただけで曲と言い張れる人間はどうにかしている。どうせそのコードの進行とやらも使い古された物で、コードだけかき鳴らしてドヤ顔で曲だとでも言いたいのか?

有名なカノン進行とかそういうものがあるが、アレは歌詞や主旋律があって初めて名曲になるんだ。和音はあくまで伴奏なんだ。

シド・ヴィシャスが「コードを鳴らして、それが音楽だ。」みたいなことを言っていた。

アレはセックス・ピストルズのベーシストという立場、彼の生き様があって初めて意味を成す言葉だと俺は思っている。

ただのアマチュアが言ってみろ。何処のお笑いだ。

 

実際自分もコードだけで曲作ったみたいなことを言ってしまうが、まともに作っていないのにそういう話をするのは滑稽なので身内のアカウントでしているが、正直それでも恥ずかしい。


その点、良い曲をポン、と出してしまう人はすごいと思う。曲だけでねじ伏せてしまう。これは告知をするなとかそういう話ではなく、曲を作ってますアピールの話だ。

新曲が出る、という宣伝はよくあるけど、自分の場合いちいち進捗をツイッターにうpするとかそういうことをしないと何故かモチベーションが保たれなくて、結局途中でダレて中途半端なまま「ゴミ音源」としてtmboxにあげたりしている。tmにあるやつは大体残骸だ。


偉そうなことを言うが、曲を作るっていうのは頭で考えるんじゃなくて、DTMだったら頭の中にあるものを打ち込んで、演奏して初めて曲になる。頭にUSBポートが付けばいいのにとはよく思うが。

 

曲を作ることについて語りたいなら音源の一つでもあげてみろと言っているんだ。

 

 

おしまい