らいおっと☆つらいおっと

最初から最後まで尊大!

自分の首を絞める

ついつい攻撃的なツイートをしてしまいがちな自分だが、その言葉によって自分の首も締められているということに今更気付いた。

 

例えばある特定のジャンルを嫌っていしたとしても、その後好きになる、みたいな話は少なくはないだろう。

もしその特定のジャンル叩きをツイッター、その他のSNSで投稿していたとして、

散々叩きまくったあとに好きです(^o^)なんて言えるだろうか?

言葉に一貫性を持つ人間でありたいと思っているので自分はそれができない。

たまにするけど。

 

ワンピースか何かで、"何が嫌いかより何が好きかでものを語れよ"みたいなことを言っていたが、本当にその通りだと思った。

しかし人間捻くれたもので、好きなものを共有するより嫌いなものを共有したほうがまだ盛り上がりやすいのだ。これは持論だが、"好き"という感情は様々な方向に向くが、"嫌い"という感情は怒りや恨みという一つの方向に集中するからでは、と思っている。

 

ツイッターでこれは意見だからといって、意見という革を被って文句ばかりを他人に押し付けている人間も見るが、なんだそれは。文句は文句だろう。

受け取り側の気持ち次第で簡単に変化してしまうのが言葉だ。

意見は議論の場で言うべきであり、議論では受取側の気持ちなど考えず、いや、受け取る側の気持ちがどうこう言うのは感情論であるため通用しないが、俺が言ってるのはツイッターの話だ。余所でやってくれ。

 

 

おしまい